もちもちアダチルちゃんブログ

元アダルトチルドレン=略してアダチルの24歳が運営する「生きづらさの克服」をテーマにしたブログです。でもハンドルネームはナナチル。 ペンギンが好き(・Θ・)

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大切な誰かを救いたいなら

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溺れている人は、溺れている人を救うことができないように。


貧しい人は、お腹のすいた人にごちそうしてあげることができないように。


大切な誰かを守りたいなら。


まずは自分が救われること、自分の心を満たすことが大切だ。


ないものは与えられず、持っていてこそ与えることができるから。

 

 

*******

 

 

私が生まれて初めて、自分の無力さを知った時。

それは、母を守れなかったときだった。

 

父は、私が2歳になる前にがんで遠くにいってしまった。

葬儀の日、私はなんで父が燃やされてしまうのかが、わからなかった。

 

「ねえ、おかあさん。

なんで、おとうさんをもやしちゃうの。

おとうさん、あちいあちいっていってるよ」

 

その言葉に、母がなんて返したのかは、覚えていない。

 

それからすぐに、私には新しい父ができた。

勇敢で、曲がったことが大嫌いで、力持ちで、大きくて、正義のヒーローみたいにかっこいい父だった。

 

私のことも、本当に血のつながった娘のように愛してくれた。

そんな新しい父が、私もとっても好きになった。

 

そう、父は本当にいい人だった。

 

そして母は、とても美しい人だった。

きれいで料理上手で、誰よりも優しい人だった。

私は、そんな母のことも大好きだった。

 

そう、母も本当にいい人だった。

 

 

ただ、お酒さえなければ。

 

 

母は、私が生まれる前からアルコール依存症だった。

お酒さえなければきれいで優しい母も、お酒を飲めばたちまち豹変してしまった。

 

泣いて、叫んで、怒り狂って。

 

そうして母がお酒で変わってしまうと、周りの人たちまで変わってしまった。

 

あの、ヒーローみたいな父も。

父の力は、暴力に変わってしまった。

 

母がお酒を飲む。

父が仕事から帰ってくる。

酔っぱらった母が、父にひどく絡む。

そして、父が母を殴る。蹴る。ボコボコにする。

 

私は、それをただ見ていることしかできなかった。

 

本当は、それを止めたかった。

母を守りたかった。

泣きながら殴る父のことも、救ってあげたかった。

 

でも、だめだった。

 

小さな体でやめてと叫んでも、誰も聞いてはくれなかった。

短い腕を伸ばして母をかばっても、殴るその手には届かなかった。

 

私は、無力だった。

 

しまいには「あっちへ行ってろ」と追い出されて、私はただひとり、暗い自室で小さくおびえていた。

 

父の怒鳴り声と母の泣き声を聞きながら、

ひとりぬいぐるみに向かってひたすら謝っていた。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい」

「なにもできなくて、ごめんなさい」

「まもれなくて、ごめんなさい」

 

そうやって謝り続けていると、いつのまにか疲れて眠って、目を覚ますと朝が来ているのが日常だった。

毎日、夜に怯える生活だった。

 

そんな毎日だったからこそ、

ある時私は決心をした。

 

 

「つよくなろう」

 

 

この小さな体じゃ、誰も守れない。

大切な人たちを守るためには、強くならなければ。

 

そう最初に決心したのが、まだ小学校に上がる前のことだった。

 

それでは、強くなるにはどうしたらいいのか。

幼い頭を一生懸命ひねって出した答えが…

でんぐり返し100回。

 

とりあえず、毎日ひとりででんぐり返し100回トレーニングをして、吐き気と闘いながら自分を鍛えようとした。

他にもほふく前進100回とかなんとか、思いつく限りなんでもやって、強くなろうと努力した。

 

でも、当然そんなことをしても強くなんてなれなかった。

幼稚園児が考えることなんて、しょせんそのレベルだった。

 

それでも「強くなりたい」という思いはずっとあった。

 

 

「強くなって、大切な人を守りたい」

 

「でも、強くなるって、なんだろう」

 

 

結局、私が小学校4年生の時に父と母は離婚して、母と私は実家に戻ることになった。

これで、あの恐ろしい夜が終わるのかと思った。

 

でも、そうじゃなかった。

母の実家では、私たちは歓迎されなかったのだ。

 

アルコール依存症の厄介者がやってきた」

 

祖父母たちの反応は、こんなものだった。

 

実家の家族たちも、本当はあたたかくていい人たちだった。

母のお酒さえ入らなければ、いい人たちだったけれども。

それでも母がお酒を飲んで暴れると、家族たちの態度も冷たくなった。

 

「迷惑なのよ」

「うちの幸せを壊さないで」

 

ここではこぶしの暴力はなかったけれど、

言葉の暴力は前にも増してひどかった。

 

そしてここでもやはり、私は母を守れなかった。

母に向けられた言葉のナイフたちを、どうやって止めればいいのかが分からなかった。

 

しまいには「あんたがいるから、お母さんもここに居座るのよ」「早く出ていってくれ」といって、私もブスブス刺されていった。

 

そうなると今度は、私の心もだんだんとささくれ立っていく。

そうしていつしか私も母との口論が増え、言ってはいけない言葉を言ってしまった。

 

「××××××ーーー!!!」

 

それが本当に、ショックだった。

私は、母を守りたかったのに。

気が付けば、母を傷つけたのは自分になっていた。

 

それから2年間、私は母の前で一切口をきかなくなった。

傷つけてしまうくらいなら、言葉なんて全部なくしてしまおう、と。

 

母は話してくれと懇願したけれど、

その時の私は母を救ってあげられない自分の無力さで、どうしようもできなかった。

 

 

「強さって、強さって、何なのか」

 

 

そうやって、もがき続けていた高校2年生のある日。

私は、一人の先生に出会った。

 

こんな人、何でもない人だろう、と。

そう思っていたけれど、そうじゃなかった。

 

私のぐちゃぐちゃだった心も傷も痛みも全部、受け止めてくれた人。

それが、その人だった。

 

恋人の愛でもなく、

親子の愛でもないけれど、

どこにいっても否定され続けてきたこの心を受け止めてくれたのは、確かに愛だった。

この時私は、初めて満たされるということを知った。

 

 

そして、自分が満たされて初めて分かったことがある。

ああそうか、誰かを救いたいなら、まずは自分が満たされていないとなんだ、と。

 

誰かにものを与えるためには、まずは自分が持っていないとならない。

持っているものは与えられるし、持っていないものはひっくり返っても出てこない。

 

お腹がすいて飢えている人を救うには、まずは自分が食べ物をもっていなくちゃならないように。

心が飢えている人を救うには、まずは自分の心が満たされていなくちゃならないんだ。

 

自分が満たされて初めて気づいたこと。

それは、私も母もお互いに心が飢えてもがいていたのだということ。

 

私は母を救いたいつもりでいて、本当は自分が救われることを願っていた。

だから母に与えたくても与えるものがなく、むしろ愛を期待しては勝手に裏切られ、お互いに傷つけあうばかりだった。

 

けれども、自分の心が満たされてからは変わった。

私にも、母に与えられるものができた。

 

2年間きかなかった口を、一言、二言と解いていった。

母の話に、耳を傾けるようになった。

家族が母を責めるとき、母の手を握ってぬくもりだけでも伝えられるようになった。

 

一歩ずつ、一歩ずつ。

 

母に自分が好きなものの話ができるようになった。

母の悩みを聞いてあげられるようになった。

家族が母を責めるとき、それは違うよと言って守れるようになった。

 

そうしていつしか、実家の家族たちも母と普通に話して、接して、笑いあうようになっていた。

どうしてそんなに変わったのかと聞いてみたら、祖母はこう答えた。

 

「あなたが変わる姿を見て、私たちも変わらないとと思ったの」

 

 

*******

 

 

大切な誰かを救いたいなら、

まずは自分が救われることが大切だ。

 

この心を満たしてあげることが重要だ。

自分が満たされていてこそ、相手にも与えることができるから。

 

大切な人を守りたい心は焦るけど。

 

それでも、まず第一には自分を変えること。

相手の心も傷も痛みも全部受け止められるくらいに、

この心を本当の意味で強くすること。

 

そうして自分の心が変われば、行いが変わる。

自分の行いが変われば、相手も変わる。

そうした変化の連鎖は、いつしか思わぬ人々まで変えることもあるから。

 

焦らずに、一歩ずつ。

大切なもののために、歩んでいけたら。